偶然がたくさん起こる人の話を聞いた話。
笑福亭鶴瓶さんの落語の会、めーーっちゃ面白かったです!
まさかの最前列だったので臨場感半端ない!!
落語もなんですけど、その前のお話で印象深かった話。
鶴瓶さんの中学時代?の先生が電話とサイン欲しかってるってお友達経由で聞いたそうです。
といっても鶴瓶さんはその先生の記憶がおぼろげで、いきなり電話も…ということで、お友達にサインを託したそうな。
そしたら先生からお礼に大量のシラス。二人暮らしだから食べきれないのでお友達に食べてもらい、(食べたふりして)お礼の電話だけしたそうです。
…というのを昨日の公演で話して、楽屋に戻ったら、なんとその先生のお孫さんが来てらして、お手紙が届いてたそうな。
「うちのおじいちゃんに電話してあげてください」って。
先生は孫が公演に行ってるとも知らず、鶴瓶さんも来てるとは知らずに昨日の公演で「シラス食べてないけど電話した」と言っちゃって〜っておっしゃってました。
あとは昔からのファンの方が、会社で社長と喧嘩してやめた!らしく。
ある時公演終わったらそのファンの方と知らない男性が…出待ちされていて。
その男性は喧嘩した社長だったらしく、待ち合わせたわけでもその公演にいくとも、出待ちまでするともなく、ただバッタリ。
鶴瓶さんはそのお二人を握手させて仲直りさせたそうです。
なんかね、目に見えない繋がりとか、偶然とか、あるんですよね。ほんとに。
鶴瓶さんは「こんな偶然あるか?」といいながらも、「俺、数年前からこんな偶然毎日のように起こるねん」っておっしゃってました。
さて。
こんな奇跡や偶然がたくさん起こる人、起こらない人、なんの違いがあるんでしょう?
「目に見えない」話ですけど、これにも理由があるんだと思います。
それについてはまた今度。
とにかく鶴瓶さん、とっても優しくて穏やかで正直な方でした。
じわじわ〜っとずっと感じてました。
また公演いきたいなぁ❤️
楽しくないのは波待ちしてるタイミングだから?な話
こんにちは。
今日は今から笑福亭鶴瓶さんの落語の会にいきます。
能、狂言、歌舞伎、探偵ナイトスクープの収録…は行ったことあるんですけどね、落語は初めて。きっと楽しいはず!
「楽しい」っていろんな感情を指しますよね。
・ゲラゲラ笑う
・ワイワイはしゃぐ
・心から突き動かされるようなワクワク(情熱?)
・わからなかったことがわかる「はっ!」とする感じ
…いろんなココロが一つの言葉に含まれてるから言葉って難しい。
仕事が楽しい!って、私の中では、
「心から突き動かされるようなワクワク」なんだなーと思います。
飽き性なので、割とそのワクワクを探してたんですが、規則性があるんじゃないかなーと思うんです。
思い返すと、
新人時代一番ワクワク経験が「とある1社のお客さんと超仲良くなって信頼してもらえたこと」だったんですが、
2.3年目は、そんな経験をだいたいのお客さんで体現することができたんです。
それにも飽きてくるんですよね。フツーになる。日常になる。
で、2年目は先輩から「自分の感覚を人に伝わるように言葉にする練習をしよう」と言われてたのですが(詳細は経歴を…)、自分の感覚を言葉にして人に伝えて伝わった時のワクワク?喜びを知ったんです。
そしたら、3.4年目はそんな経験をたくさん積めるようになっていた。
それがフツーになって…
という繰り返し。
心から突き動かされるようなワクワクを「点」で経験
↓
それが「点」ではなく「日常できるようになる」
↓
サーフィンでいう「次のワクワクの兆し」を波待ちしてる状態
↓
兆しを発見!
の繰り返し。
後輩やお客さんと話してで、最近楽しくない…とかよく聞くんですよね。もちろん私もよくありました、よくサボって冬眠してました。
でもそれって、実は…
前ワクワクしたことがもうふつーにできるようになって、次のステップにいく前だからじゃないかなーと。波待ちしながら、次の兆しをみつける。
でも、次の兆しって、
つい、前と同じ経験を〜とか探しちゃうんですよね。
「お客さんに信頼されるのが楽しい!」とか、
「あんな風に思えるお客さんと出会いたい」とか、
「あんな風に思える仕事がしたい」とか。
もちろんそれ自体は好きでした。
でも、心から突き動かされる感じでもなくなってた。「好きだなぁ」って感じ。
実はそれに慣れてしまってるので目の前に来てても気付かなかったり、ココロの脈拍(なんじゃそりゃ!笑)が上がらなかったりするんですよね。
そんな時はどうするのか。
「過去の楽しかったことの延長や繰り返しはもう一旦休憩!というか、過去の延長でもなんでもええから、新しいおもろいことやるー!!」
と決めるのが実は早い。
毎度、飽き感に襲われた時はやってました。
そしたらだいたい1ヶ月以内に新しい兆しがくることが多かったです。
人生で初めてチョコレート食べたときの感動から、「もっとあんな感動できるチョコレートを食べたい!」とチョコレート屋さんばっか行ってる。でもココロの脈拍はあの時のようには上がらない…
もうそんな時はたこ焼き屋さん行ってみようよ!たこ焼き食べてみたいって周りに言ってみようよ!
そしたら誰かがたこ焼き屋さん連れてってくれたり、結婚式の二次会のビンゴでたこ焼き器が当たるかもしれない。
たこ焼き器が当たって、たこ焼きパーティして、料理が好きになるかもしれない。
…的な感覚です(笑)
めっちゃ雑で極端な例に聞こえますけど、枠を外して、ワクワクするんだーって決めたら、
ヒントやアイデアがきっと来るんです。
だから、それまでの間に、「仕事ってこんなもんだよね」とか「人生ってこんなもんだよ」とか諦めないでくださいね。
きっと次の波はもうそこまで来てるはず!
相手の「真実」を見たらうまくいった(売れた)話
こんばんは。今日は秋分の日。数年に1回は22日になるそうですね!
(詳しいことは全然わからないですが、今日を分岐にエネルギー的にいろいろ変わる・・という話を耳にしたりします)
さて、今日は新人時代のできごとです。(経歴はお手数ですが前ページをご覧ください)
新人時代は飛び込み営業と電話の新規営業がミッションでした。
いやー、もうね、電話とれないんです。目の前にかけないといけないリストは置かれてるんですけど。先輩の冷ややかな目を感じながら、「会議室でかけてきます」と言って会議室にこもり、1時間に10件とか・・・(笑)ほぼボーっとしていました。
やっととれたアポイント。
お会いするのは人事の方や社長さんが多いのですが、(経歴で書いていませんでしたが、求人広告扱ってました)
「商品覚えられない」「求人マーケットについてもあやふや」「世の中のこと知らない(新聞が外国語に見える)」・・・つまりお客さんとの会話がなりたたない状態でした。よく考えたらあんな状態の新人をよく一人で営業させるな・・・とは思いますけど(笑)
そんなことはさておき、
自分でもそんな状態だということは一応認識していました。
でも一夜でできるようになるほど甘くない。
てか、一夜でできるならもうなってるし!
もっというと、一年でやめようと思ってるのに!
ということで自分なりにいかに少しでも楽しくお客さんと会話できる方法を考えました。
1:お客さんのHPをプリントアウトして読む
→「すごい」と思ったところを蛍光ペン。
お客さんの商品がどこでどんな風に使われるのか、自分なりに妄想。疑問点をメモ。
社史沿革がある会社はそれを読んでおく
あれ、もっとあったはずなんですけど、おかしいな・・・(笑)
でもこの「1」だけで30分会話がもつ!というシュミレーションができれば自分の中で合格にしていました。
あとは私がお伝えする情報提供的なもの(間違いなくたいしたことない話)で15分、
残りは・・・天に任せよう!で合計1時間のシュミレーション。
で、お客さんのところでは・・・・。
ご挨拶のあとに、事前準備していた内容で質問をしたり、場合によっては、というかお客さんが怖そうな人だったら、先に情報提供的なもの(間違いなくたいしたこと・・・)をして。
加えて、必ず、聞いていたことがあります。
それは「なぜその会社に入ったのか」「なぜその会社に居続けるのか」「その会社のすきなところは?」の3点。
求人広告の仕事なので、もちろんご発注いただけたときにはこの3点は原稿作ったりする際に必要なんですが、私の目的は別。
これを聞けると、「目の前の人」がどんな人かが見えてくるんです。
会社や仕事の枠ではない、その人の「真実」が。
最初は「コネだし」とか濁されたりするんですけどね、「私はこの会社ここがすごいと思うんです」と【純粋】に投げてみると、「実はね・・!」って答えてもらえる。
実はもっと新しいことがしたいと思っていたり、実は仕事よりご家庭のことで頭がいっぱいだったり、実は後輩の育成に悩んでいたり、実は今死ぬほど楽しいと思っていたり、上司が細かくて困ってたり(だから私のたいしたことない情報提供に細かくつっこんでたのか!が判明)
口では「うちなんて」と言っていても、その人の真実は「新しいことしてみたい」。
口では「上がうるさくてね」と言っていても、その人の真実は「自分がそろそろ立ち上がらないといけない」
口では「変えたいですよ」と言っていても、その人の真実は「定時で帰りたい」
・・・ネガティブなこと30%、ポジティブなこと(過去や未来含め)70%を目標にして聞くようにしていました。
だから、ご提案をするとき、クロージングをするとき、うちの商品を使いたいのか、私と付き合いたいのか、、、、いつなら動けそうなのか、電話で話すだけでわかるんです。
「あれ?この前と比べてなんか様子が違うんですけど、どうされましたか?なにかあったんですか?」とシンプルに聞ける。
そして「実は・・」と事情もわかる。その時だめでも次回提案をすべきタイミングやナカミまで把握できる。
結果、ツボを押さえた提案になる(・・ように必死に商品を理解するだけでなく、なぜその商品が必要なのか、どういいのかそのお客さんの立場にたって説明できるように必死になってやる・・笑)ので、売れる。
いずれにしても、そのお客さんが「お仕事の建前」「お仕事上の役職から」ではなく「一人の人として」何を考えているのか、、、その人の「真実」がちょっとだけ見れていたんだと思います。
お客さんの一人の人としての真実に触れることができたら、それに誠実に向き合うだけ。
仕事という「枠」や「役職」からのコトバと
その人が一人の人間として「今、この瞬間、仕事をどう思っているのか、自分をどう思っているのか、どうしたいのか」のコトバ、つまりはその人の「真実」って全然違うことって多いんだ!と学びました。
もちろん「それが真実だ」と信じられるチカラも必要なのかもしれませんね。
当時、私はお会いできるお客さんが少なかったので(自業自得!)信じるしかなかったのもあるし、もともと信じる力が強いのもあります(この辺はまた追って。)
この営業スタイルは人を教えるようになった今でも変わっていません。
営業職、そうでない方も、ほんの5分でいいので
お仕事の自分からちょっとだけ離れた「純粋な自分」で、
お客さんや仕事で協働する方や仲間を、
「仕事メガネ」外した「純粋な人間」として観て、接してみて、【感じて】ください。
いろんな気づきがあると思います。
イメージは相手と銭湯やプールでばったり会って話してたらコーヒー牛乳奢ってくれて「なんかこの人、ええ人やん!」ってわかった…という感覚です・・・。
(わかりにくい感覚…笑 そもそも銭湯やプールで会いたくないしね!)
何をしてきた人間か?(簡単な経歴その2)
clear-tiffanyblue.hatenablog.com
こちらの続きです。(1つめよりやや詳しめ。)
2002年:安易な就職活動で安易に働く会社を決めて入社。営業職。
1つだけ決めた理由があるとすれば、会社パンフレットのタイトルが「100人100色」だったこと。(自分が水泳部でも大切にしてきたことだったので。)
そしてさっそくの飛び込み営業、電話営業で「あー、1年だけ我慢して辞めよ」と決める。ただ、1つだけ自信があったのは「私は誰よりも目の前のお客さんのことを知っている、お客さんを想う気持ちならだれにも負けない」ということ。
(飛び込みも電話もちゃんとやってなかったので会えるお客さん1人1人とても大切に感じたのと、目の前でそっけない態度をされるのが怖かったので会話が1時間持つようなシュミレーションだけは毎度してました)
・・・という甲斐あって、なぜか誰よりも商品理解はしてないのに、売れる。
(その後もずっとそうでした・・・)
2003年:2年目からは飛び込みや電話営業がなくなるので、辞めるのをやめる。というか、あと1年やってみるかーレベル。
後輩ができる。後輩が優秀すぎて教育担当とは名ばかり(笑)
でも1年目よりお客さんと仲良くなれた年。
先輩から「自分の感覚を人に伝わるように言葉にする練習をしよう」とやさしく言われて練習スタート。やっぱり売れる。
2004年:「ここなら私、転職したい!」と思えるくらい大好きなお客さんに出会う。
そのお客さんが好きすぎて連日そのお客さんのことしか考えない状態。そのお客さんのために必要なのであればどんなスキルでもつけてやるー!という病的がんばり方。(これが他のお客さんにも波及してやっぱり売れる)
2005年:手なりで売れることは十分わかったので、休憩しながらとりあえず最低限の数字は~。。。のつもりが、グループの問題や、後輩が伸び悩んでる姿が目につきだして、「伝えたい病」発症。
2006年:初めてのリーダー。しかも初めて立ち上げることになった業界専門部隊。
メンバーは年上、雇用形態は契約社員、過去全然売れてない人たち。。。。
「お前の好きなようにやってみろ」という上司の声を信じて、好きにやりたい放題。
すぐに表彰台独占するようなチームになりました。人のこと、メンバーのことを寝る間も惜しんで考えた1年。
2007年:ほぼ同メンバーでの2年目、新商品リリース。
*この2006年と2007年の想いや経験が今の自分につながっています。
2008年:異動。といっても業界専門部隊からふつうの部隊に戻っただけ。
数年前やってたことと同じかーい!と思って飽きる。
2009年:異動。辞めようと思ってたときに昔の上司から3年だけこないか?と言われ、販促の組織に。リーダー業務を左手に、全然知識がなかったマーケティングを鍛えられる。脳みそ連パンク。でも売れてました。
2010年:脳みその筋肉痛も収まり、手なりで仕事。
2011年:新しく来た上司と激しく激突。ほぼ刺し違えて辞め・・・
(メンバーをモノのように扱う人だ!!許せへんと思って衝突笑)
2012年:ニート。
2013年:入社時の部署に「アルバイトせーへん?育成の。得意やろ?」と声をかけていただき、週3のアルバイト生活。といっても、育成計画からなにやらなにまで。実質は「週3しか会社に来ない上司」状態。それまで発足以降、達成したことがないチームだったのが、「はずさない」チーム、「よく表彰され」るチームに変貌。
2016年:退職~今に至る
出戻りありだけど1社でのサラリーマン経験を振り返ると・・・
よく売りました。ずっと売れてました。(個人としても組織としても)
「あー、もうこれ、絶対無理」というときに奇跡が何度も起きました。
逆に他の人たちが陥る「スランプ」にはあまりはまりませんでした。
ここだけ見ると「優等生」ですね。
でも実際は、上司と刺し違えて辞めたと表現するくらい激しい側面があったり、
みんなが夜中まで企画書を作ってる横で、「私、明日のお客さんは企画書より、目の前で紙に書いたほうが伝わるから~」と17時30分に帰る。。。なんて毎日こと。
自由きままに過ごさせてもらいました。
どんな形で辞めようが、ニートをしようが、何をしようが、仲良く応援してくれる仲間がたくさんできました。
「経歴1」のように、水泳しかやっていない私が、なぜ割とうまく行くんだ??という疑問も常にありました。そして少しずつ紐解こうとしてきました。
紐解けたら、メンバーや仲間に成功の仕方を伝えられるかもしれない!みんなうまくいくかもしれない!という一心でした。
まだ全部がまとまってるわけではいですけど、「うまくいく」「なんだかんだ奇跡が起こる」そのキーは「愛」にあるんだと思っています。
実はこれからちゃんと「独立」しようと思っています。
過去の経験や紐解いたことはもちろんお伝えしますが、
これから私が経験することも、そしてその経験を私がどうとらえて、どう進んでいくかも、見守ってくださるとうれしいです。
少しでも自分の中の「大切なもの」に気が付いて、勇気を持って一歩進める方が増えますように。
何をしてきた人間か?(簡単な経歴その1)
1979年:福井県敦賀市で、ゼネコン営業だった27歳の父と専業主婦の24歳の母親との間に生まれる(富山→金沢で生活)
1982年:京都に引っ越す。水泳、習字、ピアノを習い始める。
1984年:地元の公立幼稚園入園。スモッグを汚したらお母さんに怒られる…と日々母親に怒られるのを恐れて過ごす。
1986年:地元の公立小学校入学。水泳の選手コースに通い出す。(センスないけど負けず嫌いで努力するから…という理由)
1989年3月:全国ジュニアオリンピック10歳以下女子200m個人メドレーで4位入賞
1991年:水泳一時的にお休み(コーチへの反乱&塾への憧れと負けずぎらい)
1992年:私立中学ギリギリ入学 (スカート履きたくないだけの理由で制服なしのところで、おしゃれそうな学校を選んだら、運良く大学までエスカレーター)
1994年:全国ジュニアオリンピックや全国中学で複数種目表彰台に乗りまくる。
一方で日本代表になれず、「こんな頑張ったのになれないんだ…」と諦めて遊ぶ。太る。
1995年〜1997年:水泳はやる気なしだったけど、彼氏が水泳選手だったので惰性で続ける。常に悶々としていたころ。もちろん水泳はプライドもクソもないレベルまで落ちる。
インターハイやジュニアオリンピック、国体も出るだけな人。
1998年:大学入学。水泳部に断れずズルズル入ることになる。第二言語で選んだ中国語にハマる。
2000年:長年付き合った彼氏とお別れ。約半年人間らしい生活が送れなくなる(今考えるとふつーに鬱)
中国に短期留学。と、同時に水泳選手としても傷心だったのに大復活。インカレでB決勝。
女子主将になる。
2001年:数少ない同期と水泳部のことだけ考えて生きる生活。
就活は「中国語の通訳なりたいから一般職で働いて残り時間勉強する」と宣言し、ぼーっとしていたところ、友人に「一般職でも筆記テストがあるということ、面接があること、練習のためにいろんな企業を受けるべきだ」と諭され、
就活サイトに登録。
翌日の朝に筆記テストがあった会社にエントリー。説明会参加せず筆記テスト受ける→面接→面接たのしい!!→内定。
(なんの会社?名前は聞いたことあるけど…で決める)
ちなみに中国語と部活三昧で大学の単位はギリギリ。今でも卒業できない夢たまに見ます…
はじめまして。のご挨拶
「愛だけでご飯が食べていけると思ったら大間違い!」
「愛さえあればどんなことでも乗り越えられるわ❤️」
「私はこんなに愛しているのに彼は…」
…テレビでもネットでも何度となく聞いたことがあることば。
(思ったことさえあるかもしれない)
実際、愛があってもビンボーはやだ。愛しても愛されないとやだ。わたしは。
パートナーや家族、ペット、仲間を愛して、
そしてもちろん愛されて、
豊かで時間もたくさんあって健康で、
欲しいものは全部手に入れたいのが正直なきもち。
幼い頃の方がわりと何でも手に入れてた気もする。
愛ってなによ?
「愛が溢れていて、そして豊かであること」 「愛で生きていくこと」は凡人には無理なのか?
わたしの中で答えはでています。 きっとできるはず!って。
もしかしたらこの人生を全部使って練習していくことかもしれないですけど。
そんな記録(気づいたこと、思ったこと、感じたこと、起こったこと)を残していこうとおもいます。
読んでくださった方に少しでも愛とほんの少しの勇気が届きますように。